暁書法学院のご案内

暁書法学院では、漢字(楷書、行書、草書、篆書、隷書)、仮名、条幅が学べます。
また、筆ペン、ボールペン、小筆での年賀状や手紙の書き方など、
日常生活に必要な書式等の書き方の指導も行っています。

アクセス

所在地:大阪市北区堂山町15-4 梅田シティヴィラアクトⅢ406号
4階エレベーターを下り左前方に進んで3つ目のドア 406号 です。

代表者あいさつ

暁書法学院学院長 林田暁径
暁書法学院院長 林田暁径
あけましておめでとうございます。
 本年は丁酉(ていゆう)(ひのと とり)です。鶏は、朝早く鳴くことで有名です。
古来戦国時代(二〇〇〇年以上前)では鶏が早朝定刻に鳴くことを利用して関所を開けるようにしていました。大変便利なことで、いつ関所の門を開けたら良いのかという基準になり、関所には鶏が飼われていた訳です。しかし、それを逆取った犯行もありました。それを四字熟語で『鶏鳴狗盗(けいめいくとう)』、辞書には「にわとりの鳴きまねをし人を欺いたり、犬のように盗みを働いたりする卑し者」とありますが、実は、戦国時代の斉の使者孟嘗君(もうしょうくん)が秦から命からがら逃げ帰ったという話しから来ています。その話を次に紹介します。

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

 秦の始皇帝の三代前、曽祖父にあたる昭王(在位前三〇六~二五一)の時代であった。昭王は孟嘗君の斉での活躍と人望の厚さを知っていて当時戦国時代にあって各国の公子等の人質を交換し、平和を保っていた。秦は昭王の弟、涇陽君(けいようくん)が斉に人質として送り込まれ、昭王は斉の孟嘗君を宰相として迎えると偽り秦に来る。孟嘗君は三千の食客といわれるぐらい各地より孟嘗君の賢人を知り、身を寄せていた人々が多かった。秦もそれを脅威に感じていたこともあり、秦に呼び暗殺を企てていた。客人の中にそのことは罠であると引き止めるが、秦に向かう。そして客人達と共に騙され軟禁されてしまう。秦王の寵姫に人を送り釈放してもらえるように頼む。姫の要求は斉から持ってきた贈り物の白い狐の毛皮であり、たった一つしか持ってきていなかった。一つしかないものを二つにすることは出来ない。しかし、客人の中に盗みを得意とする者がいて、犬(狗)のように足音を立てず王の部屋に入り、その毛皮を盗んで来た。そして姫にその毛皮を渡した。王も寵姫には弱いもので軟禁は解かれ、秦より帰っていく。一瞬は昭王も孟嘗君を解き放したが、すぐに後悔して、追っ手を放つ。孟嘗君達も、その事は想定内で急いで帰っていく。秦の関所に着いた時はまだ夜半で、当然門は閉じていて追っ手は後から迫って来る。絶対絶命であったが、客人の中から鶏の鳴きまねを得意なものが現れ、鳴いた。それに共鳴して関所の鶏はすべて鳴きだし、関所は開かれ孟嘗君達は無事逃げ帰った。

題  闘鶏(とうけい)

闘鶏

詩意

どうして同じ江南に生まれて覇王を争うんであろうか。今語られる両雄は大海のような大きな歴史の流れとして残る。その一鳥は漢時代を築いた劉邦であり、部下の言うことを聞き入れた。常に項羽と戦えば負けていたがその負けこそが最後の喜びとなる。もう一つの鳥は独断で戦略を立てる項羽であり百戦錬磨にしても悲しいことに最後に負ける。䔥何は沛県ではうまく劉邦を亭長という政治家に仕立て上げ、張良は鴻門という会合で項羽の策略に嵌められず、劉邦を逃がして帰る。最後の一戦で敗れた項羽も、命を捨てず、もう一度陣を立て直し、戦士を多勢連れて土埃りが上がるほど軍隊を連れ重ねて来れば、覇王の夢も叶ったかもしれない。逃げずに最後まで一人で戦った項羽の四面楚歌の絶体絶命の場面を迎えたことに悲しまずにはいられない。