• 〒530-0027 大阪市北区堂山町15-4 梅田シティヴィラアクトⅢ406号
  • TEL 06-6311-5636

本校案内

暁書法学院のご案内

暁書法学院では、漢字(楷書、行書、草書、篆書、隷書)、仮名、条幅が学べます。
また、筆ペン、ボールペン、小筆での年賀状や手紙の書き方など、
日常生活に必要な書式などの書き方の指導も行っています。

アクセス

所在地:大阪市北区堂山町15-4 梅田シティヴィラアクトⅢ406号
4階エレベーターを下り左前方に進んで3つ目のドア 406号 です。

代表者あいさつ

暁書法学院院長 林田暁径
暁書法学院院長 林田暁径

あけましておめでとうございます。本年は戊戌(つちのえいぬ)の年です。
犬は人に尽くすということで東京渋谷駅前の忠犬ハチ公の銅像は有名です。
私は犬といえばこれの中国版とも言える黄耳の物語がすぐ脳裏に浮かんできます。
この物語は私が書道の練習を本格的に始めた二十二才頃、中国の書道の歴史という本を読んでいました。
古代甲骨文より始まり、秦・漢・三国を経て西晋の時代へと来た時、西晋に「陸機」という書家の伝記を知りました。
陸機は、三国志で有名な名将「陸遜」の孫にあたります。陸機は書道作品で「平復帖」という作品が残っています。
これは中国書道史上、最も古い真跡の書作であり故宮博物院に現存されています。(暁書「中国書道史、林田嶽榮」でも以前に取り上げています。)
書道家としても有名なのですが、彼の犬「黄耳」の忠犬さも一つの有名な話として世に伝わっています。

陸機之犬黄耳りくきのいぬこうじ

陸機は文学者・書家として有名ですが、陸遜の孫であることから武将の家系であり、兄弟皆武将であった。
本来は呉の国(華亭・現在の上海市郊外の松江であった。)西晋の都は洛陽であり、武将として有名であったことに洛陽に招かれた。
呉に住んでいた時、陸機がまだ幼い頃、父の富豪のお客が訪れ、犬をプレゼントされた。
陸機はこの犬を「黄耳」と名付けた。そして、洛陽に移り住んだ時も黄耳を連れていった。
黄耳は賢い犬であり、人間の言葉をよく理解した。
事情等は分からないが三百キロ離れたところ、黄耳が必要とされたので、黄耳を貸した。
帰る時、黄耳はよく道を覚えていて一匹だけで帰って来たのであった。
この事を経て、陸機は最近途絶えている呉の家族への手紙を黄耳に渡してくれないか問い掛けた。
すると犬は喜んで尾を揺らしてこれに答えたという。
陸機は竹筒を黄耳の首に掛けその中に家への手紙を入れて試みに運ばせた。
すると、半月ぐらいして黄耳は四千キロ程ある道程を往復した。
帰って来た犬を抱き抱え首に掛けた竹筒を開けると、家からの返信が入っていた。
どうやら黄耳は主人、陸機と家から洛陽に来た同じ道を通っいたらしく、州を渡るのに舟に乗り、岸が近づけば舟から降りて走り去っていったようである。
これより陸機は家に手紙を送る時必ず黄耳に頼んでいる。
陸機は八王の乱(西晋の皇族の同士の内乱)で成都王、「司馬穎」に仕えていたが、陸機と同じく寵愛を受けている宦官、「孟玖」と不仲になり弟の陸雲、陸機と共に一族皆殺しという惨い刑になって生涯を終える。
世の人々は無実の罪であることを知っていて、その死を悼むこと凄まじかったと言われている。
またこの処刑される時に黄耳は天に向かって吠えて涙したとされている。
主人も死んだ後、黄耳も死を迎えるのであったが、黄耳の亡骸は黄耳の死を悼んだ人々の手で、洛陽より呉の陸家の近くに運ばれ黄耳塚が作られた。

題  陸機之犬黄耳画りくきのいぬこうじが

在呉豪客犬快呈 呉に在っては豪客に犬の快きを呈う
従少陸機常愛情 少き従り陸機常に愛情す
尺牘送郷掛首届 尺牘郷に送るは首に掛け届け
主人帰里下階迎 主人里より帰るは階より下り迎える
春天夜雨受風走 春天の夜雨でも風を受けて走り
秋日朝寒凌雪行 秋日の朝寒でも雪を凌いで行く
能解人言黄耳付 能く人の言を解し黄耳と名づく
伴之狩猟得豊盈 之に伴い狩猟すれば豊盈を得たり

詩意

昔呉に住んでいた時に富豪の人より足の速い犬を頂いた。
幼かった陸機はこの犬を生涯愛した。
遠く離れた呉の故郷に手紙を送るのに愛犬の首に掛けて運ばせた。
帰って来た黄耳を迎えるのに、陸機は家の玄関のきざはしを下って待っていた。
春の夜の雨であっても風雨の中走り、秋の寒い雪降る朝も手紙を運ぶ為に苦もなく走って行った。
人の言葉をよく理解していた賢い犬は黄耳と名付けられた。
陸機の余暇の一番の楽しみは、黄耳をつれて猟に行くことであり、猟を終えると収穫も良く満足感に溢れた。